· 

精神科学自由大学・第一クラスについて(3)−3

精神科学自由大学•第一クラスについて(3)−3

 アントロポゾフィー協会の構成のうちにおける精神科学自由大学と部門の分節

1924130

ルドルフ・シュタイナ一

 

 以上が、エソテーリクごっこということばをもって、言わんとするところです。そうしたごっこは、すぐにも色褪せます。なんらかのサークルが、仮面をかぶった党派欲からつくられても、それはすぐに色褪せます。生命という、リアルなエソテーリクに取り組むことが、あまりにも難しく感じられて、エソテーリクをお喋りの種にすることが、心地よく感じられます。エソテーリクが口々にやりとりされていれば、いかにもっともらしくやりとりされていようと、エソテーリッシュなお喋りです。それは、アントロポゾフィ一協会を、はてしなく妨げることになりますし、アントロポゾフィーのことがらをも、じかに妨げることとなります。だからこそ、クラスにおいて、信頼についての問いが、これから、きわだった意味において厳粛に受けとられる必要があります。

 

 ただ、こういうだけでは、通りません。わたしは、協会に入って二年になるので、クラスに受け入れて欲しい・・・。クラスに受け入れられるということは、アントロポゾフィー協会の運営会が、その人とともに仕事をするということです。運営する人が、僕のようになることはできません。運営する人に対して、仕事をともにしたくはない人、つまり、仕事をともにすることのできない人と、仕事をともにすることを強いることはできません。だからこそ、このことが可能でなければなりません。すなわち、ここで、このことにもふれることになります。クリスマス会議が、まったく厳粛に受けとられる必要があります。精神科学自由大学の運営会が、アントロポゾフィーのことがらを代表するつもりのない人に対しては、このように言うことができる、ということです。あなたが普遍アントロポゾフィー協会にいることは、大歓迎ですが、あなたがクラスの会員であることは、残念ながらできません・・・。そのことが、これから、可能でなければなりません。そのことが、きわだった意味において厳粛に受けとられなければなりません。

 

 自ずから明らかでしょうが、それは、なんらかのシンバシー、アンチパシーからは、決してなされません。それは、気儘にはなされません。しかし、それは、きっと、どこまでも理解されるはずです。それは、すなわち、大学の会員によって、運営会に反することがなされた場合に、なされます。いかがでしょうか。それぞれの人に、それぞれなりの願いがあります。ひとりが、あれを欲し、ひとりが、これを欲します。アントロポゾフィー協会の会員は、もちろん、どの人も、その人なりの願いをもつことを阻まれはしません。しかし、それぞれなりの願いによっては、アントロポゾフィー協会が、断じてあってはほしくないものにもなりかねません。セクトや秘密結社にもなりかねません。アントロポゾフィー協会は、そのようなものであることが許されません。

 

 そして、クラスもまた、秘密結社の性格を帯びるものでは、まったくありません。秘密結社は、今日、不可能です。今日という時代は、異なるものを求めています。しかし、このことが可能でなければなりません。運営会は、ともに働くことのできる人とのみ、ともに働く、ということです。それゆえ、これから、このことが求められるところとなります。クラスに属そうとする人は、アントロポゾフィーのことがらとのかかわりで、なにかをなすときに、かならず理事と話し合う、ということです。それによってこそ、理事がアントロポゾフィー協会に責任をもつことができます。そして、理事にしてみれば、まさに責任をもちたいものですし、まさしくアントロポゾフィーのことがらのために立ちたいものです。

 

 すなわち、これから、だれかが理事のところにやって来て、わたしたちは、あなたがたにかかわりのないことをする、というように言っても、それは通りません。もちろん、その人は、そのことをすることができます。しかし、クラスに属することはできません。すなわち、心根において繋がりを保つという原理も、わたしたちの大学においては本質的に欠かせなくなります。まさに秘儀の場という場においては、つねにそうであった通りです。そうでなければ、わたしたちのアントロポゾフィーの仕事のまるごとが、アントロポゾフィーの目標に向かうことのできないままでありつづけます。そもそも、それらのことごとは、ことがらの法則であり、ことがらが要請するところです。

 

 また、アントロポゾフィーのことがらを潰したい、という人も出てくるでしょう。それはそれで結構です。それは、もちろん、どの人にも自由です。しかし、アントロポゾフィーのことがらを運営しようとする人にしてみれば、アントロポゾフのことがらを保つために欠かせない条件が満たされていないことを、認めるわけにはまいりません。

 

 グループを発足させることにしても、また、その他のことにしても、これからは、そのことが精神科学自由大学のクラスの会員によって、運営会との合意のもとになされる、ということです。アントロポゾフィーのことがらの、その側面においては、運営会が中心になる、ということです。

 

 すなわち、クラスにおいては、アントロポゾフィー協会におけるのと違ったことが聞けるのではないかといった、たんなる好奇心からクラスに入ろうとする人は、むしろ入らないほうがいいはずですから、とくと考えてみてほしいものです。そもそも、クリスマス会議において、おざなりなことばは、なにひとつ語られていません。そこで語られたのは、ひとつの新たなこころざしが、アン卜ロポゾフィ一協会の生命のうちに、きっと、入ってこなければならない、ということです。いかがでしょうか。クラスにおいては、ひそかに大いなる知をどうことするとかでなくて、人が、まこと、アントロポゾフィーのことがらを代表する人となる 一クラスが進むほどに、なおさらそうなる一 ということです。そして、アントロポゾフィーのことがらは、きっと、リアルなことがらです。雲の上をさまようなことがらとは違います。きっと、リアルなものです。理事の背後で、あれこれを企むことは許されません。すなわち、アン卜ロポゾフィーのことがらの管理は、これから、どこまでも精神科学自由大学の手の内に置かれます。

 

 また、精神科学自由大学も、秘密結社ではありません。大学は、大学の手がけることを、広く知ってもらえるように努めることでしょう。しかし、大学に属する人であるということは、アントロポゾフィー協会そのものにおけるのと同じく、それなりの意味に基づきます。すなわち、そこにおいては、人が、アントロポゾフィーを、ほかの人とともに育もうとします。同じく、精神科学自由大学は、大学の会員に、ますます多く厳格な義務を課すことにもなるでしょう。そうでなければ、大学が大学たりえません。そうでなければ、意味がありません。たとえば、このことも、義務のひとつになるでしょう。わたしたちのアントロポゾフィー協会において、これまで信じられないくらいはびこってきたこと、つまり、資質に応じて責任ある仕事をこなしている人をあれこれと批判することが、これからはなされなくなるということです。批判することは、容易ですが、なにかを創造することは、はてしなく難しいことです。自分のことを賄うだけの日常に心地よく浸かっているところからは、日常を捧げてアントロポゾフィー協会に欠かせないことをしている人を、容易に批判することもできるでしょう。すなわち、その方向においては、なによりも、アントロポゾフィー協会でなされていることについて、よくよく考えてみるという心根も、しつかりと根づく必要があります。気に入らないことについての問いは、きっと、拒まれることになります。いまは、なによりも、気に入らないことが云々されています。しかし、眼目であるのは、なにがなされるかであり、なにがリアルに生じているかです。そもそもにおいて、協会の会員の意識のうちに入って欲しいのは、なにがリアルに生じているかということです。たしかに、運営ということのうちに、ふさわしくない権威の原理が取り込まれてはなりません。しかし、なにがどうなされているかを気にもとめない人が、そこここにいて運営会をあれこれとけなしていた日には、運営会も課題に適うことができなくなります。

 

 以上が、前もって、今日のうちに、取り上げたかったことです。というのも、多くのかたが、土、日の講演と同じように、金曜日の講演も、ただ申し込みをするだけで聴くことができるというように思っていることが、たとえば、これまでに受け取ったものからも分かったからです。そうであったなら、気楽なことでしょう。しかし、精神科学自由大学は、どこまでも、みずからアントロポゾフィーのことがらを代表すると感じる人が、メンバーとなって欲しいのです。ですから、なによりもそのことをしつかりと見据えたうえで、これからまずはじめに設けられる第一クラスヘの参加を決めてくださるよう、お願いいたします。その意味において、わたしは、金、土、日の講演との繋がりのもとに、第一クラスをつくつていくつもりです。すなわち、次につづく講演は、まだ、アン卜ロポゾフィ一協会の会員のかたがたに向けてのものとなります。そして、次の週の講演のなかでは、いよいよ第一クラスが、ひとつの役割を演じます。

 

 第二クラスは、しばしの後に設けることができるでしょう。以上が、前もって、今日のうちに、お伝えしたかったことです。この時間を加えたのは、これまでに頂いた、たくさんの手紙を読んだことからです。手紙は、まとめられて、すでに分厚い本のようになっています。しかし、これから、もっと厚くなりそうです。数巻の本のようになるかもしれません。そして、その本を読んでみて、今日、お話ししたことを、お話ししておく必要があると教えられました。

 

 精神科学自由大学に受け入れられたい人は、どなたも、また次のことを知らせて下さるよう、お願いいたします。協会に入って何年になるかということ 一そのことを知っておくことが、欠かせないことなのです一 そして、今日、信頼についての問いということでお話ししたことに、身をもってかかわるつもりがあるかどうか、すなわち、クラスの会員として、その義務をも引き受けるつもりがあるかどうかです。そのことを、申し込みの文面に、かならず銘記していただきたい。

 

 受け入れのことを考えているかたがたには、手紙に書かれていることの他にも、知っておきたいことを尋ねるということができるかと思います。しかし、金曜日の講演を聞きたいと書いてくる人には、その問いに答えることからして難しくなります。なにしろ、そもそものことは、金曜日の講演を聴こうとしていることでなく 一曜日のことなら金曜のかわりに日曜だってかまいません一 精神科学自由大学の会員であろうとするかどうかです。それが、ことの要です。

 

 それが、すなわち、会員にかかわることです。部門の分節は、運営会のことがらになります。運営会を中心とする仕事によって、代表されるべき分野は、すべて代表されることでしょう。しかし、そのことは、どのクラスにおいてもなされます。そして、ひとりひとりの人が、その人の属する部門の運営とふさわしく協調しながら、その人の必要をも満たすことができることでしょう。そのことは、ひとりひとりの人が、人としての普遍的な必要を、アントロポゾフィー協会の普遍部門において見いだすのと同じです。すなわち、普遍的で人間的なアントロポゾフィー部門には、ほかの部門に属するだれもが属することになります。そもそも、普遍部門は、きっと、ほかのすべての基盤です。

 

 それが、すなわち、顧みられるべきこととなるでしょう。

訳 鈴木一博