ルドルフ・シュタイナーもWikipedia見てねと思うんだけど、まぁ事情通だとちょっと〜ちょっとちょっとというようなオタク感満載な内容なので、こちらもザックリと。
1861年2月27日、当時のオーストリア、今のクロアチアで生まれました。鉄道技師の父を持った影響か技術系の学校に進みます。子どもの頃から目に見えない世界のリアリティーを体験していたそう。学生時代は科学やカントやフィヒテなどの哲学に強い関心をもつ(高専みたいなとこ?)卒業後、今のウィーン工科大学に入学、自然科学を学ぶなか、薬草採集家との出会いから、精神世界に精通した導き手との出会いがあり、そういった世界に精通する上で、当時の科学を理解するよう促されたとのことです。また23歳の頃家庭教師を始めその下宿先の水頭症の子どもに独自の対応で普通学校に入学できるようになった。後の教育や治療教育への造詣が若い時代からなにかしらあったと思われます。
20代はゲーテ全集の自然科学の著作の編纂を任されられていました。30代はじめに代表著作の一つ「自由の哲学」を出版。後に1000年後にも残っている自分の作品は何かと聞かれ、「自由の哲学」と答えていたよう、後年の彼のアントロボゾフィーの活動の礎としてある本です。ゲーテ全集の編纂後は芸術系雑誌の編集や専門学校の教師などをして、様々なジャンルの方と会っていたようです。40代初めに神智学文庫での講演を依頼され、その流れで神智学協会の会員になりドイツのドイツ支部の代表となる。(目に見えない精神的な世界を語るには40過ぎないとだめだみないなことをシュタイナ自身がどこかで言っていたのを見かけたような気が、、、)
その後、1904年に「テオゾフィー」、「いかにして人が高い世を知るにいたるか」1910年に「神秘学概論」の主要著作を執筆。1910年代に入ると神智学協会を辞め、オイリュトミーやシュプラッハゲシュタルトゥング、神秘劇と独自の芸術活動を展開。第一次世界大戦後は、ヴァルドルフ学校、社会3層構造運動、医療、バイオダイナミック農業(ビオディナミワインなどで有名)と社会活動を展開した。1920年には活動の拠点となるゲーテアヌムをスイス、ドルナッハに完成し、1923年に普遍アントロポゾフィー協会の代表となったが、1925年に64歳で亡くなりました。
死後からもうすぐ100年とります。ヴァルドルフ学校(シュタイナー教育と日本では知られています)の広がりは世界で千単位に登り、自然派化粧品のヴェレダやビオディナミのワインなど、シュタイナーの影響は大きく広がっています。一般的にはオカルトと位置付けられてしまうことも多く、なかなか表立って紹介されなかったりしますが、影響を受けた人はかなりの数に上ります。有名なところでは「モモ」や「はてしない物語」で有名な作家のミヒャエル・エンデ、ノーベル賞作家のソール・ベロー、画家のカンディンスキー、パウル・クレー、指揮者のブルーノ・ワルター、芸術家のヨゼフ・ボイスなど。またヴァルドルフ学校の卒業生には、デザイナーのF.A.ポルシェ、前述のミヒャエル・エンデ、女優のサンドラ・ブロック、モデルのジェシカ・ハートなどなど。保護者にはLed Zeppelinのロバート・プラント、ジョンポール・ジョーンズ、アート・ガーファンクル、ジェームス・テイラー、Eaglesのグレン・フライ、俳優のクリント・イーストウッド、ハリソン・フォード、ユマ・サーマンなどなど、アーティスト系の方が多くご子息を入れていることが分かります。