利益、貨幣、賃金、土地所有などなど、私たちが持っている一般的なイメージと、それがそもそもどのように経済の領域で振る舞っているのかとの乖離が個々に指摘されます。 「能力に相応しい機会を提供する」という金言に、個々の一人ひとりは自らの可能性を開花させつつそれをもって社会に寄与することになります。同様に世界を取り巻く無数の他者からの寄与の恩恵をひとりとして受け取り上で社会生活が成り立って行く。ひとりが皆のためにということは結果で、ひとりがもっとその人を実現させることからもたらされるもので、世界が前に進んで行く。まったくもって「自由の哲学」とおなじモチーフで経済が語られていることに驚きを隠せませんが、個々のポイントに関してはもっともっと実生活に落とし込むような発見が出来そうです。
分業化・利他主義・需要・交換とざっと見ていきます。とても大事なことの核の部分だけ述べられていますが、個々の部分をもっと丁寧に掘り下げていくこともとても面白そうです。 その中でも交換が経済のキモであるというところに目が止まります。仲買人、バイヤーの存在意義に改めて光があたります。昨今のアマゾンを代表とするネット販売を趨勢の中、中間業者のあり方が改めて考え直されていますが、作り手と購買者の間で創造的に仕事をするバイヤーはこれから改めて注目される職域だと思いました。
経済の課題のひとつには、経済のやり取りのなかでの基調として互恵性があります。今風にいうとWin Winの関係ってやつですね。それがそもそもの形としてそなわっているというところです。そこを見いだせていないことにあります。いまどきな会社はほぼこの方向性を人事にもっていますが、スタッフひとりひとりの可能性をできるだけ羽ばたかせようとする。それによって会社にも有益に形になる。以前のように経営者・監督者による管理された運用でなく、スタッフの個を輝かせる方向。こちらの方が会社にとっても有益であることが様々に言われていますし、働く側の人もそいういった職場で働きたいと思っているはず。人はいろいろなしがらみをはずしていくときっとWin Winな環境を生み出せます。
前の段から「資本」とは何か?ということがいくつかの角度から述べられています。ことばは時代時代に鋳直す必要がありますが、「資本」ということばも鋳直すことを待たれていることばのひとつです。資本主義社会ということばでいわれている「資本」とここで言われている「資本」ということばには「生息地が違う」ような、まったく違うのではないんですが、新天地で生かされる「資本」が語られています。
この回もまたまた、大きなテーマが多すぎ。労働力は経済学には余計な概念という話は面白い! 人は資本、給与は生産母体の維持費なんですよね。 こういう考えから日々のことを進めていくと、たとえば自動車を買うという考えでなくて、この車を適切に管理・維持・運用できる人がその技量を持っている限り所有権がある。 贅沢をするということが、一見贅沢とおもわれるものを所有できる技量があるというところになるんじゃないだろうか。 ものとものをもつ人との関係性が問われる。 21世紀まだまだ価値というものにマッチョに語られています。 人類まだまだ先がある!!
経済学とはたまもの(賜物)贈り物である資本・元手が、価値とともに生じるプロセスを、考えることで改めて理解するプロセスである。 そういうことを踏まえて、どのような価値を提供することで、自分が生業を立てていくかとか、 この商品の価値に対して自分はどういう価格であれば交換を成立させられるだろうかとか、 市場における価格設定の健全、不健全の度合いとか。 いろいろ考えられますね。 自分の日常を取り巻く経済プロセスを改めて考えてみることで、経済へのリテラシーが鍛えられます。
ものの価値が作る側から語られるか、費う側から語られるか、特に費う側から語られるケースが多いかと思います。が、価値はそのふたつを合わせて初めて生じるものだという観点はなかなか自覚しづらいものです。 またここで語られる価値は貯められない、「価値が『貯蓄』されるとき実際費やされているものが何なのか」というところを見抜くことは、今の社会を生きる人として、とても大きな視点になります。 価値は生まれて、費われて無くなっていくという生命のプロセスと同様のプロセスが経済の中にあるという視点はとても大事ですし、そういう考えに安住しないで、丁寧に今の社会はいったいどうなっているのかという探求が不可欠だと思います。 得てしてパラダイス的な思考は現在の社会との照らし合わせが欠如して起こって来るものではないでしょうか?
文字通り「価格」ということが語られる回です。 売り手は、最低限、自分がずっと取り引き出来るためのものが買える価格を、自分が販売する商品には値付けする必要があります。 買い手は、買おうとする商品が自分にとってどのくらいの価値かを量ります。 買い手売り手の価値が一致するところで価格が決まってくる。 値が付くということは面白いですよね。 値がつかないこともあるわけですよね。 欲しいけど高すぎて買えないわなんてものはたくさん皆さんありますよね。 自分の継続性がもう限りがあれば、例えば不治の病であと3ヶ月の命ともなれば、散財するかもしれませんが、基本的には自分なり家族の持続性を鑑みて、ものごとを購入しているはずです。 売り手、買い手の間に価格が生まれる。 この双方向性、互恵性が経済の話の基調となります。 経済というと投資銀行のようなアグレッシブなイメージと被りますが、 経済は基本、双方向性、互恵性が基調です。 人間も全く同じ。 経済も人のひとところなんですね。
自由大学のオリエンテーションと平行に、こちらも1997年の会報に掲載されたクリストファー・バッド著「経済学の前奏曲」を投稿開始します。 当時とても印象的だったんですが会員の佐藤さんの翻訳がとてもよかったんだなあと改めて読んで思いました。 翻訳って本当なかなか顧みられないですが本当に重要なパートですよね。 バッドさんの約40年前の著作が今だに新しい。私たちがどれだけ日々の営みを意識していないか。ものを作る、ものを流通させる、ものを売買する、ものを消費する。ほんと日々のことごとですが、こういう考えを読んでハッとさせられます。まだまだ私たちは私たちの世界や世の中を知ってはいないです。 生き生きと生きる中で、活き活きとこういう素養を手に入れたい。 結論から言っちゃうとわたしみたいな人はがんがん稼げ〜って感じですね。 稼いだものを適切に遣う。がんばります♪♪連載乞うご期待です!!